よしなし-ごと
日記じゃないんです。ただ何かしら思うところを
書き留めておく、これはボクの「よしなしごと」。
| ■ あの日に寄せて |
| Date: 2005-01-17 (Mon) |
阪神淡路大震災から、10年の年月が流れた。
あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。
当時のボクは出版社勤めだったが、編集者に似合わず朝は定時前出勤を信条にしていたため、毎朝7時前には家を出て、片道1時間半の通勤をこなしていた。
あの朝、いつものように6時前に床を出て、着替えのかたわらテレビのニュースに目を向けると、そこでは近畿地方で発生した大きな地震が報じられていた。情報は錯綜しているようで、被害の詳細は全く分からず、その時点では、一部で火災が起きているといった程度の報道しかなされていなかった。
続報を待ついとまもなく、いつものように通勤の途についたボクだが、満員電車の中では、なぜだか胸の奥がざわざわと落ち着かない思いにとらわれていた。地震なんて珍しくもないじゃないか。そんなふうに自分に言い聞かせていたことを思い出す。
人影もまばらな会社に着くと、自分のフロアへと駆け上がり、早速職場の片隅に置かれたテレビのスイッチを入れた。そこに映し出された光景は、ボクの甘い想像を打ち砕くものだった。
伸びやかに都市を縫っていた高速道路は無惨に地を這い、海と山との境に広がる神戸の街は、立ち上る炎と煙に包まれていた。その炎と煙の中で、今どれほどの人達が助けを求めているのだろう。
気が付くと、涙が頬をつたっていた。
この地震の1年半前、北海道南西沖で起きた地震は、ちょうど先日のスマトラ沖地震のように、巨大な津波を引き起こし、奥尻島の人達の暮らしをずたずたに引き裂いたが、その報道に接したときにも涙はこぼれなかった。どこかで「対岸の火事」として見ていた自分。
それがこのときは、まったく不意に涙をこぼしていた。
それは、この地震が襲ったのが自分の生まれ故郷だったからだろう。そんな自分の身勝手さを自覚しながら、それでもあふれる涙は止まらなかった。
ひとしきりテレビに見入っていると、オフィスはいつしか出勤してきた同僚や上司のざわめきにあふれていた。そこでボクは、自分のデスクに戻ると、片づけなくてはならない仕事の山に嘆息しつつ、同時にPowerBook180のスリープを解除して、Nifty-Serveにアクセスした。
見慣れたパソコン通信の画面には、いつも通り淡々とテキストが流れていったが、すぐにいつもとは異なる文字列に目がとまった。そこには地震情報掲示板が緊急開設されていたのだ。
そこから先のことはよく覚えていない。
ひたすら自分の仕事をこなす一方、ひっきりなしにPowerBookの画面に目をやっては、実家近辺の情報に目を凝らす。
マスコミは依然として上空からの映像や、裏付けの取れない断片的な被害情報を流し続けていたが、パソコン通信上では、携帯電話を介して接続した現地の会員から、生々しい被害の報告が寄せられていたのだ。
ただひたすら、見慣れた地名を目で追い、近傍の情報を頭の中でコラージュしては、懐かしい街の悲惨な様子を思い描いていた。通信に要する課金が従量制だったこの時代、はじめてネットから離れられない体験をしたのがこのときだろう。
このとき、ボクは新雑誌の創刊準備に携わっていたが、夜も昼も仕事と災害情報の混濁の中にいたような気がする。
自分の家族は両親を含めすでに東京で暮らしていたが、被災地には多くの親類や友人知人がいた。地震発生からおよそ3日後だったろうか、親類の多くとは連絡が取れ、人的被害のないことが確認された。建物の被害も軽微だったようだが、ごく近所には全壊した家屋もあり、これは幸運以外の何物でもなかったろう。とにもかくにも安堵を覚えながら、それでも知人のご家族の訃報が伝えられるなど、胸のざわめきは、しばらくの間静まることがなかった。
仕事の合間を見つけて、ようやく現地を訪れることができたのは、地震からおよそ3カ月の経った春のこと。その爪痕は生々しく街に刻まれ、まるで怪獣映画の中で見た光景のように、自衛隊、警察などが慌ただしく行き交っていた。伯母の運転する車で迂回に次ぐ迂回を余儀なくされながらその街を走り、また、代替バスを乗り継ぎながら、寸断された鉄道に沿って被災地をこの目で見たことを覚えている。
その伯母も今は亡く、あれほどに痛めつけられた街は、一見そうと分からないほどに美しく再建された。確かに10年の月日が流れたのだ。
しかし、地震が奪った多くのものは戻らないし、また、地震が変えたものは、良くも悪くも「今」に刻まれている。
ボクは、この地震の年の夏、出版社を離れてコンピュータやネットワークを仕事に選んだ。生まれたばかりの新雑誌を仲間たちに押しつけての転職は実に自分勝手で、今でも申し訳ない気持ちになる。けれども、このときの自分はそう歩まざるを得なかった。
それまでは単に機械と向き合っているつもりだったコンピュータとのつながりが、ネットワークを介した人とのつながりなのだと知らされた震災の日。
あの日を境に変わった自分の歩みを誰かのために役立てたい。そう再確認するのが、ボクにとっての1.17だ。
| ■ 不便な高機能ケータイ、求む! |
| Date: 2004-07-16 (Fri) |
数年の長きにわたって開店休業だったこのコーナーがようやく復活。果たして今度はいつまで続けられるやら。暇を持てあましている時にだけでもお付き合いいただければ幸いです。
近日中には時代の波に乗ってブログ形式に移行しようと考えていますが、まずはその実現が継続への試金石かも(笑)。
さて、復活第一回はケータイのお話。以前、東京ラブストーリーの再放送で、コードレス電話の子機がやたら巨大だったという話を書いたけれども、振り返ってみるとケータイの激烈な進化には目を見晴らされるものがあります。
今やケータイの機能は1にメール、2に通話、3、4がなくて5にWeb、というほどに、ネット端末としての位置づけ抜きには語れないものになっていますね。その端緒となったのが、ほかでもないNTTドコモのiモードですが、このサービスが開始されたのは1999年のこと。以来たったの5年間で、ケータイで使うネットサービスは日常生活に浸透し、多くの人が「依存症」にまで陥る事態となったのです。
そして今、「お財布ケータイ」と銘打たれたFelicaサービスが注目を集めています。持ち歩くのはケータイだけ。時計も財布もパソコンも要らない世界。「ケータイ命」の若い世代には、確かに受け入れられやすい未来図でしょう。
ですが、このあたりでオールドタイプとして一言言わせてもらいたいと思うのです。
新機能大いに結構。ケータイが生活を便利にしたり、時には人と人とをつないでくれるのは有り難いことです。しかし、その技術のほんの一部でも、ケータイ各社がわざわざ広告まで打って訴えている「マナー」のために使えないのでしょうか。
電車に乗ったら自動的にマナーモードに切り替わるケータイ。電車内や自動車の運転中には通話ができなくなるケータイ。そんな「不便さを実現する機能」は、簡単に実現できるはずです。
できることをやらずに、おざなりの広告でお茶を濁すようなところから「マナー」が生まれてくるとは考えにくいと思います。マナーとは自発的なもので強制するものではない、などというのは責任転嫁に過ぎないでしょう。
使い手の成熟を待ついとまもなく進化していくケータイ。だからこそ、その提供者はより思慮深くあって欲しいと思います。ポーズだけのマナー啓蒙は、もうお終いにすべき時なんじゃないでしょうか。
| ■ 王様のイスは砂のイス |
| Date: 2002-09-06 (Fri) |
おおっ。前回の書き込みから8ヶ月以上経ってる……(^^;)
この間、家族ができたりなんだりと色んなことがありました。
そうそう、クルマも変わったんだった。
で、今回はクルマに関する小ネタです。
8月の新車販売ランキングというのが発表されました。この4ヶ月間、ホンダの小型車・フィットが首位を取り続けているのだそうです。
で、この手の話題でいつもついて回るのが、トヨタのカローラとの比較です。カローラといえば誰でも知ってるトヨタの看板車種で、それこそ何十年にも渡って「日本で一番売れてるクルマ」の地位を欲しいままにしてきたんですね。
でもみなさん、身の回りを振り返ってみて、カローラ買った人ってどれくらいいますか? 少なくともボクの友人や身内にはこの数年で1人もいません。みなさんも似たようなものじゃないでしょうか?
実はもう何年も前から、カローラは密かに「細胞分裂」を繰り返していて、数字で発表される「カローラの台数」は、こうした分裂細胞すべてを取り混ぜた数になっているのです。
1つのクルマからの派生車種というと、セダン、クーペ、ワゴン、バン……と昔から多く見られたのは確かです。けれどもそれらはフロントグリルなどクルマの顔や、基本骨格は同一のモノであるという前提の話だったような気がします。
ところが今、カローラと呼ばれているクルマには、昔ながらの共通項を感じさせるカローラ(セダン)とカローラフィールダー(ワゴン)の他にもクルマのジャンル自体が全く違うと思わざるを得ないカローラスパシオや、クルマの全長を大きく切りつめたハッチバック車のランクスなど、雑多なクルマが十把一絡げにされているのです。
かつてのライバルに目を転じてみると、日産のサニーは今やセダンだけ。ホンダのシビックはセダンとハッチバックの2種類、マツダのファミリアもセダンとハッチバックの2種類という状態です。今大人気のフィットは、まさにハッチバックの1車種だけで、本当は骨格を共有しているミニバンのモビリオ(トヨタがカローラに加えちゃってるスパシオの対抗車ですね)などはしっかり別車種扱いです。
これで「カローラの台数」とは、どう考えても「水増し」ですよね。
ボクが思うに、カローラの「王座」なんてとっくに砂上の楼閣になっていて、実際に「売れてるクルマ」は全然別のところで生き馬の目を抜く勢いで競い合っているに違いないのです。
いい加減にこういう意味のないランキングはやめておけばいいのに、という気がします。やるなら車種区分の規定をもっとオープンで分かりやすいものにすべきですよね。こういった「水増し」はもちろんトヨタの専売特許というわけでなく、どのメーカーも多かれ少なかれやっていることなのですから(カローラのそれがとんでもない規模なのは間違いないですけどね)。
ときに、ボクがこの春乗り換えたのは実はホンダのシビックです。売れてないんですなぁこれが。人気のフィットの納車待ちにしびれを切らしたお客さんがやむを得ず買うなんて向きもあるようで悲しい限りです。走って楽しく、乗ってラクチン、おまけに実際の燃費もいい素敵なクルマなのになぁ。
でもまぁ、結局のところ、自分は自分で気に入ったモノに乗りたいと思うだけなので、やっぱり「ランキング」なんてどうでもいいんですけどね。
むしろランキング圏外の方がウレシイ……なんて思うボクは天の邪鬼なんでしょうか。(^^;)
| ■ 走るアイツ |
| Date: 2002-01-21 (Mon) |
意外といえば意外なことに、中距離走が得意だったのが中学時代。
中学生からすれば「長距離」って呼ばれていた1000m以上のレースが僕の領分だった。
およそスポーツの神様から見放されていた僕の人生だけど、このときだけは別。
所属していたコーラス部の朝練は、学校の敷地外周を5周する走り込み。腹式呼吸を身体にしみこませるためのトレーニングは、そのまま持久走の力を与えてくれたのだ。
小学校でも徒競走では勝ったことのなかった僕が、中1の校内陸上競技会では1000mでブッチ切りの学年1位。これには誰より自分が驚いた。
そんな勢いで陸上部を差し置いて学校代表として市の競技会に押し出されることに。おいおい、いいのかこんなことで。
しかも種目は未経験の800m。たった200mの違いと言うなかれ。この差が大きかったのだ。
予選スタート時に回りを見回すと、誰もが本格的なスパイクシューズを履いている。そりゃそうだ。ここは校庭じゃなくてトラックなんだから。
それでも平底のジョギングシューズを履いた僕は、400mのトラック1周目をトップで走った。そう、1周目は。
800mのレースは2周目が勝負だった。そこで僕は一気に3人にかわされ、6人中4位でゴール。予選勝ち抜きは3位までだったから、僕の競技会はそこでジ・エンド。
それでもトゲ付き(笑)の残り2名には勝ったんだからと自己弁護してみたりしたものだ。
時は流れて中2の校内陸上競技会。
前年とはうって変わって、クラスの連中も僕の走りに期待している。
「お前は1位ってことで得点計算できてるんだからな!」って、そんなぁ……。
果たしてレースはスタート時に走者のラインが交錯し、僕はそれに巻き込まれて転倒。
あわてて追走するも、足首を痛めていて、1500mのレースの間に5位まで追い上げるのが精一杯だった。
中3で新設校に転校した僕の「ランナー生活」はそこでおしまい。
以降、僕は元通り、スポーツの神様の横顔すら拝んだことはない。
あの頃のアイツは、ホントに僕自身だったのかなぁ……。
| ■ マイ・レジスタンス |
| Date: 2002-01-21 (Mon) |
今回こそはもっと身近な、あたたかな話題を……と思ったのですが、もう一度だけ大上段に構えた話が続くことをお許しください。
これは某所への投稿のために書いた文なのですが、その投稿が知らない内に締め切られていたので、やむを得ずここに納めておこうと思います。
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既出の見解であればご容赦いただきたいのですが、アメリカの対テロ戦略を見て、それを日本史上の出来事と重ね合わさずにはいられませんでした。それは、鎌倉幕府による守護・地頭の設置です。
義務教育で歴史を学んだ人なら知らない者はないであろうこの施策は、平氏を平定して東国の鎌倉に幕府を開いた頼朝が、その実効支配を西国に拡大し、全国規模の政治・経済の実権を握るべくして展開した謀略でした。
この際、守護・地頭設置の名目として利用されたのが反逆者としての源義経です。義経は「逃げ延びられる程度にゆるやかな」幕府の追求に追われつつ、それまで幕府の力が及ばなかった西国各地を巡り、結果として幕府の支配権は全国に及ぶことになります。
ビンラディンの行方を未だつかむことの出来ないアメリカは、有形無形にその逃亡をほのめかし、これまで思うに任せなかった各国に「テロ支援国家」のレッテルを貼ることで、自らの思うがままにあらゆる圧力を行使しようとしています。これは正に、義経を泳がせることによって全国支配権を手中に収めた鎌倉幕府のやり口そっくりではありませんか。
アメリカのアフガン爆撃は、決して正義や善意に基づく行動ではない。そのことは「積極賛成派」を除く「攻撃容認派」の方々を含む多くの人の理解するところであると思います。その結果ゆえに報復を「容認」するか、あくまで「断固反対」かという違いはあっても、アメリカの「動機」を盲目的に信じてはいけないという点について共通の認識を確認できるはずです。その上で、私たちはアメリカの今後の動きを注意深く監視していくことが必要だと信じます。
先に「覇権国家」の必要性について説かれていた方がいらっしゃいましたが、その論旨からすれば、アメリカという幕府の力で、世界には平和がもたらされることになるのかもしれません。
しかし私はそうした見識を嗤わずにはいられません。ローマの覇権は確かにローマ市民を殺さなかったかもしれませんが、その平和が数知れない奴隷とその忍従によって実現されていたことを歴史に学んでいるからです。
奴隷が、現代の私たちがイメージするような非人間的な階層ではなかったという研究結果もあるようですが、それでも彼らが市民とは厳然と区別され、自由を大きく制限された存在であったことに変わりはありません。
覇権国家や幕府による平和を求める人たちは、この数千年、数百年をかけて人類が手に入れてきた自由を自ら放棄しているようにしか、私には見えないのです。
| ■ 小人(しょうじん)宰相 |
| Date: 2001-11-07 (Wed) |
政治向きの話は、ホントに嫌いだ。それはウソではないのだけれど、この悪戯書きをはじめてから3人目になる現総理には、ほとほと腹を据えかねている。
怒りのあまり、陳腐な事柄を述べ立てたり、筆が走りすぎることもあるかもしれないけれども、予めお許しいただきたい。
さて、この総理、そもそもどういった経緯で総理になったか極めて曖昧な人である。前総理については、ここでも書いたように、その座を早期に退くべきだった人であることは言うまでもなく、事実、多くの声に押されてその通りになったわけだが、その後釜に現総理が座れたというのは、どういうわけなのだろうか。
広く知られているにもかかわらず語られることが少ない(いや、みんな知らないのか?)のは、この人が、まさしく前総理の派閥である、森派の会長であったことだ。彼は、総裁選への出馬にあたり、この座を離れ、派閥から籍を抜いたわけだが、暗愚の人と言われた前総理を、まさにその暗愚を発揮する間も支え続けた派閥の長がこの人であった事実は消しようがない。
国民が否定した前任者を支える、責任ある立場(派閥政党である自民党では、党三役などより、ある意味重いのが派閥の長だろう)にあった人物が、しゃあしゃあとその後釜に座る。このことだけでも十分に人をバカにした話である。
しかもその総裁選やその後の国政選挙でも、この人が口にするのは自身がその中にいる組織への批判である。曰く、「皆さんの期待に応えられないようであれば、私が自民党なんかコワしてみせます!」だ。
一見して口当たりのよい「自己改革」の決意表明のように見えながら、正しいのは自分であるという訴えのみがそこにはある。それだけならまだしも、自ら「改革」の対象であると訴えている自党そのものへの支持を訴えるなど、欺瞞以外の何だというのだろうか。内部からの改革そのものは、自浄作用として貴重である。しかし、それは成し遂げてからこそ外に訴えるべきものではないのだろうか。
この言い草には2重の卑劣さが含まれている。すなわち、自らの「改革」を担保に成功を約束すると同時に、自身が属する組織と自分を切り離してみせるという姑息な責任回避によって、万一(万一どころじゃない高確率だと思うが)の失敗があっても、それは「反抗勢力」によるものだというエクスキューズを予め用意しているのだ。僕にはこういうメンタリティーをもった人間を信用することは到底できない。
同様の例は、今、テロと並ぶ大問題である狂牛病の問題についてもみることができる。
英国をはじめとするヨーロッパでこの病が猛威を振るい、社会を震撼させていたとき、厚生大臣の座にあったのが他でもない現総理なのだ。彼が大臣の座に着いたとき、省内ではこの病に対する対策がようやく立ち上がりつつあった時期だと報道されているが(週刊文春等による)、彼は大臣職にあって「何もしなかった」という。
そうした初動対応におけるツケが、現在の混乱の少なくとも遠因になっていることは事実だろう。
そして現内閣で、その対応のまずさや場当たり的なパフォーマンスがやり玉に挙がっている農水相も、いわゆる派閥の論理では「順番ではなかった」人物を、総理自らが指名したことも同時に報じられている。
もちろんそれが派閥の指名によるものであろうとなかろうと、組閣についての全責任が総理にあることは言うまでもない。その人物の失態を、これも総理は高みに登って叱責するのみである。外相問題については、もうここで述べるまでもないだろう。
ここでも失敗は総理ではなく大臣の責であり、総理は決して矢面に立つことはないのだ。のらりくらりと叱責や擁護を繰り返し、さりとて不適とされる人選を改めようともしないばかりか、その職にあるものから仕事のみを奪うことすら是とするなど、この人にはおよそ責任感というものが欠如しているとしか言いようがない。
そして今、この狡猾な人物は、私たちの平和への願いをも汚そうとしている。
それもまた、「テロリスト」という第三者を前面に押し立ててのなし崩し行為だ。
テロに立ち向かうことの必要性など言うまでもないことだ。しかし、そのことが、自国の法や制度をないがしろにしてよいなどということになろうはずがない。
僕は米国への「全面的な」支持や自衛隊の派遣には反対だが、それが正しい手続きによって決したものであれば、従うにやぶさかではない。しかし、現今の歪曲的な憲法解釈の拡大は、民主主義のあり方を大きく逸脱している。彼は、正しい手続き(それはやはり憲法を問うところから始まるはずだ)を敬遠することで、またも自らの責任を回避しようとしているとしか、僕には見えないのだ。
今回の決定が、日本の将来にどのような災いをもたらそうとも、決して彼が責任など取ろうとはしないことは、ここまでの例からハッキリしている。
自ら責めを負う覚悟もない者の妄言に惑わされてはいけないんじゃないだろうか。
彼の笑顔を溺愛する多くの人に、改めて考えて欲しいと思う。
| ■ 時計のはなし |
| Date: 2001-08-13 (Mon) |
最近の若者(こういう表現って、我ながらサビシイですね〜)は、腕時計をしなくなったらしい。なにしろ肌身離さず持ち歩いているケータイが、それ自体時計代わりなので不要だっていうんですが、これもどうなんでしょう、そもそも連中は時間を気にしないんじゃないでしょうか。何日もウチに帰らないなんて当たり前だそうですし。せいぜい楽しくやって、年を取ってから痛感してほしいものです。時間の怖さ有り難さを、ね。
……と、年寄りの愚痴はこのくらいにしておいて、今日のお話は、自分の腕時計についてです。
一昨日の土曜日、ひょんなことで見失っていた腕時計を「発掘」しました。10年と少し前から愛用していたデジタル時計なんですが、相次ぐ引っ越しで埋もれていたんですね。
この時計、カシオの「MOON GRAPH」という製品なんですが、時計としての機能は当たり前の時刻表示とアラーム、ストップウォッチ程度で、見るべきものはないばかりか、デジタル時計のくせにライトがないので、暗闇では時間を見るのも難渋するというシロモノです。なのにこの時計がボクを引きつけて離さないワケは(なくしてたクセに〜>自分)その名の由来にもなった「MOON GRAPH」機能にあるんです。
この時計の文字盤の上半分は、黒地に金の表示が使われた、いわゆる「ムーンフェイズ」になっていて、通常使用時には月齢と天球上の月の位置が表示されます。南の空を模した黒地の液晶には、いつでも星が瞬いていて、気持ちを和ませてくれます。
さらに、普通の時計なら、アラームだのストップウォッチだの「実用的な」機能を呼び出すモードボタンも、この時計ではなんと月齢が数値で表示され、日の出日の入りの時刻が参照できたり、指定日付の月齢や月の出月の入り時刻が見られたりと、ご機嫌な「ロマン派」ぶりを見せてくれるのです。
今でもカシオの一部の機種には「MOON GRAPH」機能がありますが、そのインターフェイスは、もっともっと詰まらないものになっているようです。それはたぶん、マリンスポーツや登山などをする人向けに「実用的な」機能になっているからなんでしょうね。
この時計を手に入れた頃には、休みの度にバイクで日本各地をさすらっていたボクですが、その旅の中で、時には励まし、時にはなぐさめてくれたのがこの時計でした。土砂降りの雨に降られても「明日は何時に日が昇るよ」「明晩はきっと満月だよ」……そんなふうに囁いてくれたのを、確かに何度も聞いたんです。ホントですよ。
今回本当に久しぶりに発掘した「MOON GRAPH」は、電池がこと切れていましたけれど、ヨドバシで電池交換をしてみると、無事に可憐な月を映し出してくれました。また、よっぴて走ってみようかな……。そんな気持ちになっています。
| ■ ダブルたまおに呼ばれても…… |
| Date: 2001-05-30 (Wed) |
またも悪しき記録を更新してしまった……(^^;)
実に3ヶ月近いブランクです。誰も気にしてないとは思うけど。
さて、今日は「インパク」について書いてみようと思います。
この「インパク」、たぶんほとんどの人が名前は耳にしたことがあるでしょう。大量のテレビスポットをつぎ込んで行われた、インターネット上の博覧会のことです。「行われた」なんて過去形で書いちゃいましたが、実はこのイベント、1年に渡って開催されるもので、未だその最中にあるのでした。影薄いな〜(苦笑)。
このイベントそのものにはほとんど見るべきモノがない……かどうかは知りませんが、見る気にさせない、という意味では、なかなか希有なものだと思います。70年の大阪万博開催で名をはせた「万博屋」堺屋太一前経企庁長官の肝いりで、国民の血税を注ぎ込んで行われているイベントですが、そもそも万博そのものを恒常化したようなインターネットの中にあって、確たるテーマすらなく、企業のお義理パビリオンだの、目立とう的な個人サイトを無秩序にひも付けしてみたところで、誰も見る気にならないのは道理でしょう。
先日、このインパクの盛り上げ(中締め?)を目的にしたパーティがにぎにぎしく開催されたそうですが……。
いみじくも現下のインパク担当者、竹中平蔵大臣にして「これから見ます」と言ったそうです。当然すぎて笑えませんね。
また、インパクの「編集長」である荒俣宏さんはインパクコンテンツへの批判に対して「つまらないものもつくる権利がある」と言ったとか。
確かにそうです。文化論として、すっごく正しい。
でもお願いだから、そういうことに税金使わないでください。
インフラ整備に徹してくれた方が、ボクにはよっぽど有り難いです。
| ■ 訃報……またしても |
| Date: 2001-03-04 (Sun) |
サボったあげくに、久々に書くネタが訃報だなんて、本当に悲しい。
久和ひとみさんが亡くなった。まだ40歳だったという。仕事も脂が乗りきってこれからますます、というときに、ご本人もさぞ無念だったろう。
なぜわざわざ彼女の死についてボクが書くのかというと、実は彼女がパーソナリティをしていたFM番組に、大学時代、出演したことがあったから。
デンカという企業がスポンサードしていた「HOT DOING」というその番組で、毛色の変わった大学サークルを取り上げるコーナーがあって、ボクはそこにゲストとして呼ばれたのだった。
何のサークル?という話はさておき、番組は、彼女もコーラスの経験があるということから、とても話が弾んで、ボクにとっても楽しいものだった。オンエアされる時間尺を大幅に越えた好き勝手な会話が、スタジオのレコーダーに収録されたのが昨日のことような気がする。きっと、編集さんは苦労したことだろう。
思えば、当時の彼女は20代の後半。フリーの仕事も上り坂にさしかかった時期だったんだと思う。当時はその年を知らなかったけれど、その快活さと、精力的な仕事ぶりが強く印象に残っている。ボクとほんの六つ違いだとは思えないほどに、その、スタジオを立ち回る一歩一歩の歩みの力強さが焼き付いている。
収録が終わって、真っ先に友人に話した彼女のイメージは「彼女にするには最高だけど、奥さんにはちょっと難しそうな人だったよ」だった。
果たして彼女は一度結婚するも、やはり仕事を選ぶ……そんな人生を送ったと、今回の報道で、知った。
あの番組の中でかけてもらった、ボクのリクエストはユーミンの「瞳を閉じて」。
ボクの記憶の中に、強さの映像を残してくれた彼女を送ろう。今……瞳を閉じて。
| ■ あう〜(;_;) |
| Date: 2001-01-16 (Tue) |
前回あんなに誉めてあげたのに、五代クンはあっさり桜子さんのもとへ出向いてしまいましたね。とはいえ、いざうるうるの瞳で「窓の鍵、開けとくからね...」とか言ってる桜子さんを見ると、それはそれで感動してしまうボク(爆)。ま、これも男のサガってことで(^-^;;;
さて、なんだか同人日記みたいでイヤなんですが、もうちょっとクウガの話を。
今週の回で友人から受けた指摘に、この場でボクなりに答えてみましょう。
Q1)一条刑事が薔薇のタトゥの女を撃った銃弾が、貫通しまくりだったけれど、それにしちゃ射撃の反動が小さすぎない?
A1)あの銃はオートマグナムに見えるので、確かに反動は小さすぎます。でも、それ以上にボクが気になったのは、あの銃弾って「神経断裂弾」とかいう神経兵器だったはずなんで、貫通しないで体内にとどまらないと効果薄なんじゃないかってことです。うーん……野暮な突っ込みだ>自分
Q2)クウガと0号(ボスキャラ?)の決戦って、結局生身の殴り合いで終わっちゃうワケ?
A2)ですね(笑)。でもあのコンセプトは、実は「北斗の拳」のラオウとケンシロウの決戦そのものです。双方が奥義を究めちゃうと、結局奥義は奥義でなくなり、生身の戦いに等しくなる……ってことですね。
それはともかく、クウガのエンディングテーマ「青空になる」って曲が、なんだか最近お気に入りなんですが、どこのカラオケ屋さんにもないんですけど。どっか入ってるところ、誰が知りませんか〜?