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よしなし-ごと

日記じゃないんです。ただ何かしら思うところを
書き留めておく、これはボクの「よしなしごと」。


決意
  Date: 2001-01-11 (Thu)

仮面ライダーが、今年で誕生30周年を迎えるそうだ。
僕が生まれた年にはウルトラマンが誕生し、それを追いかけるように「等身大のヒーロー」仮面ライダーが生まれて、もうそんな年月が流れたことになる。

ところで、現在、テレビ朝日系で日曜朝に「仮面ライダークウガ」という最新シリーズが放映されているのだが、これがなかなか面白い。なぜかハイビジョンで撮影された(笑)キメの細かい映像と、それを活かした、とことん暗い画面作り、1話完結でない「ひっぱる」ドラマ作りなど、「これ子供が見てたら焦れちゃうんじゃない?」ってくらい、良くも悪くも凝った作りのドラマになっているみたいだ。

そのクウガ、実は今月中に大団円を迎えるのだが(すでに次回作がスタンバイ中なんだけど、どうもこれはライダーと宇宙刑事の混血みたいな怪作になりそう^^;)、その最後の決戦を前に、主人公がその協力者・理解者に(胸中で)別れを告げて回る、というのが表題のタイトルで放映された、1/7オンエア分だった。

それにしてもこの回、1話完結でないクウガの中でもかなり特異な回だった。なんつっても仮面ライダーが出てこない(!)のだ。主人公は人間のままで、ひたすら友人知人、恩師に笑顔を見せて回る。そう、笑顔で。「戦いが終わったら、冒険に出ます」と言い残すのである。それは不還の決意なのか。

……と、このコーナーはライダー評論が目的じゃないので(笑)、僕がこの回に感じたことをひとつ。

クウガこと五代雄介は、その恩人であり恋人でもある沢渡桜子のところへは、なぜか訪れることがないのだった。描かれるのは、五代の心中を思い遣る桜子の姿のみ。

この回に限らず、クウガが大人の鑑賞にたえる高尚なドラマだなんて世迷い言を言うつもりはないのだけれど、この「訪れなかった」ことには、ちょっとグッと来てしまったのだった。

オトコってのは、こういうものだと思うから……。

次回、いきなり五代が桜子を訪ねないことを祈ってます(笑)。

http://www.tv-asahi.co.jp/kuuga/


CM勝手に大賞
  Date: 2000-12-31 (Sun)

「今年はCMの当たり年だね〜」
そう友人に言われたので、改めて、今年印象的だったCMについて考えてみました。
今年はあんまりTVを見ない年だった気がしますが、その中で印象的だったものを1つあげると、これになると思います。
「炊きたてをラップして〜ジップして〜フリージングして〜チーンよ〜♪」っていう、あれです。
いかにもサボテン枯らせてしまいそうな教育ママメガネの奥さんに、色白なオタッキーなご主人が問いかける「この炊き込みご飯、具が入ってない……」「それ、炊き込みご飯じゃないわよ……3日前は白かったの……」ってヤツですね。
なんとも味わい深く、しかも実用性に富んだ情報を伝えているため、つくづく見入ってしまっても損をした気にさせないという(笑)希有なCMフィルムになっています。
どんなに面白いCMでも、それが肝心の商品の売り上げにつながっていないと思わせるモノが多いんですけど、これは間違いなく売り上げに結びついていると思わせられます。
ときに、このCM、見ていると、同じモノを2回繰り返してオンエアしているような印象を受けませんか?
実は僕もしばらくの間「しっつこいCMやな〜」と思っていたんですけれど、実はこれ、1本目はジップロックのCM、2本目はラップのCM、という2段構成になっていたんですね。本編部分が全く同じ構成になっているため、それにすら気づかない(笑)という、実に巧みな構成になっているわけです。
このCM、制作的には失敗の部類にはいると思いますが、それでも商業的には成功かも……と思わせるあたり、実にさすがの経験値を感じさせます。1年の、しかも世紀末にこんな話題で済みませんが、この談話室は、来年も、再来年も(爆)、いつでもみなさんに自然体で接していきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いしますね。(^_^)/~

勝手に連想ゲーム
  Date: 2000-12-07 (Thu)

平凡な日常を送っているせいか(ウソ)、なんともネタのない毎日なので、それでも転がっている細切れから、ムリヤリ連想してネタをねつ造してみんとて詠める(笑)。

●312:突然だけど引っ越しを決めた(って、どこが平凡な毎日なんだ〜)。で、新しい部屋番号が「312」になる予定。ボクにとって312といえば、何と言ってもフェラーリなんである。70年代、不屈の王者、ニキ・ラウダと、薄命の天才レーサー、ジル・ビルヌーヴを擁し、唯一無二の水平対向12気筒エンジンのサウンドを響かせて、煌めくような走りを見せつけたフェラーリ312T。きょうびの、どのマシンをとっても金太郎飴のような、詰まらないF-1の世界とはまるで違ったあの頃。レースはもっともっと熱い「体験」だった。

●原田真二:松田聖子の次のお相手だって? ホント? ちなみに、どういうわけだかボクの中での彼は、江口寿史のイメージとダブっているところがある。ベビーフェイスで天才肌なところがそう思わせるんだろうか。でもそれ以上の共通点が、今回の報道でふと浮かんだ。2人ともシュミ悪いぞ(ちなみに江口夫人は元B級(?)アイドルの水谷麻里)。

●ローマ字:どんなものでも「i」か「e」を付ければアップ・トゥ・デートな存在になる。それがネット社会と言われる現代だ。ところがほんの数年前には、何にでも「J」が付いていた時代があったことを覚えているだろうか。「オレ昨日さ〜奮発してJビーフのすき焼き食っちまったよ〜わははは」なんて会話、フツーの感性の持ち主なら、口にはできないだろう。まぁこういう、時流に乗っただけのネーミングには、確実に寿命がやってくる。けれど、その陳腐化の波が、その発震源となったオリジナルの存在までもを蝕んでいくのが一番コワイところなのだ。してみるとJリーグの衰退はJビーフ、Jポーク、Jチキンの呪い……?……とか言ってる先からアップルの赤字が報じられてるなぁ。

みちのく旅日記(最終回)
  Date: 2000-11-15 (Wed)

前日の楽しい夕食と、温泉(近くの温泉場に行ったのです)と、食後のお茶(ステキな土蔵造りのお店に行きました)の余韻に浸りながら実によく眠り、翌朝は東北の凛とした朝の空気で、すがすがしく目覚めました。

またもおいしい朝食をご馳走になり、今日は早々にこちらを辞して、東京に向かうことにします。本当にありがとうございました。

免許はいまだ行方しれず……。
これって不携帯になるんだろうな〜と思いつつ、仕方ないのでクルマを一路東京へ走らせます。

道路の流れは予想外によく、およそ5時間ほどで、東京に帰り着くことができました。

この旅の走行距離はおよそ2500キロ。高速走行で虫などもたくさん付着してくたびれちゃったクルマを、早速実家で洗車しました。もちろん車内もキレイにお掃除……あ!!!

ドライバーズシート下のCDチェンジャーとカーペットの隙間から、茶色いパスケースが! あうっ(T-T) 何度も探したはずなのに〜!

そんなわけで、無くしたものを取り戻し(笑)、それ以上にたくさんの思い出を手に入れて、このみちのくの旅も大団円を迎えたのでした。

今度はどこに旅しようかな……(^-^)

(了)

みちのく旅日記(7)
  Date: 2000-11-10 (Fri)

ハイカが見あたらなかったので、そんなに気にもかけずにクレジットカードで高速代を支払うことに。

このインターに併設された駐車スペースが待ち合わせ場所だったので、しばし停車して待ち人の到着まで時間をつぶすことにしました。

あ、そうそう、ハイカ、どこにしまっちゃったんだろう?

そんなわけで探し始めたのですが……。
高額のハイカだったため、昨日むつに向かう際、八戸自動車道で使ったのを最後に、パスケースに仕舞っておいたはずです。

ん……? パスケースぅ?!
ないないないない〜〜〜ないっ!!!

なんと、5万円のハイカと運転免許証と通勤定期とびゅうカードと……ごちゃまん詰まったパスケースがどこにも見あたらないぢゃ〜ありませんか!

クルマの中じゅうひっくり返してみても姿なし……。
そうこうしている間に待ち人も到着。「れれっ? どうしたんですか?」「いや〜実は……」(T-T)

こりゃやっぱり、ここまでのどこかで落としたとしか……。
そこで高速道のガイドマップを手がかりに、今日立ち寄ったSA/PA2カ所に電話。けれど返ってくる答えは「そういう落とし物は届いていませんねぇ」のみ。念のため十和田の宿にも電話すれども成果なし。。。

とにかくクレジットカードを停めなくてはと、サービスセンターに電話しました。とても気の毒がってくれた上で、免許証まで揃ってると、犯罪に悪用される恐れもありますから、何はともあれ警察に届けられたほうがいいですよ、とのアドバイス。なるほどそりゃそうです。

無免許状態で警察署に顔を出すわけにもいかないので、心配顔の友人に送っていただき、一関警察署に届け出ました。あ〜あ。

旅の終わりにとんでもないことになったなぁ……と思いつつ、くよくよしても始まらない!と気を取り直しました。

観光シーズンの一関は、どの宿も満室です。今日は友人宅に泊めていただくことにして、さっそくお宅にお邪魔することになりました。

その道すがら、近隣の奥様方が共同事業としてはじめたというアイスクリームのお店に寄り道。これがなんとも濃厚でおいしい! もう元気回復なボクです。ここにはガラスのアクセサリー工房なんかもあったりして、小物をおみやげに買うことができました(突っ込み不可^^;)。

その夜は、友人のお宅でマック談義(ハンバーガーじゃないよ)に花を咲かせ、また友人のお父上が摘んできた地物のきのこに舌鼓を打つ、楽しい夜でした。

いよいよ明日は最終日。一路帰京を目指します……次号最終回!

番組の途中ですが(笑)
  Date: 2000-11-09 (Thu)

……「みちのく旅日記」の途中ですが、ちょっと思ったこと。

先日「神の手」の異名をとる(それにしてもセンスのないネーミングだなぁ)考古学者が、石器発見を「ねつ造」した事件が大々的に報じられました。
ボクもかつては歴史を学び、またそのころの友人には、今も発掘の現場に携わっている人間がいるなど、縁浅からぬ世界の話で、本当に残念な出来事でした。けれども、今日書いておきたいのは、そのこと自体ではないのです。

事件を起こした当の学者がたずさわってきたこれまでの発掘作業にも、当然のことながら再検証の目が向けられる事態に至っているのですが、そうした中、該当の遺跡を抱える埼玉県の知事が事件を指して「国の恥だ」とのたまったとの由。

聞けばこの知事、今回の事件の主役を「表彰」し、あまつさえその発見した石器を海外で喧伝してきたという経緯があるようです。ハッキリ言えば「自分の顔に泥を塗られた」という思いが知事にこうした言葉を遣わせたのだと思います。

確かに事件自体は大変に恥ずべきことですが、こうした反応もまた、自治体首長という方の言動としては恥ずべきことだと、ボクは感じました。こうした出来事にあってなすべきことは激昂することではなく、その経緯を精査し、再発を防ぐ冷静な対応であると思うからです。まして政治的な要職にある方は、軽々しく「国」などというレベルでものを語ってはいけません。

今回の事件に対して、韓国などのマスコミでは、日本人が自国の歴史を美化しようという潜在意識の表れであるという論調があるようです。その論の是非はさておき、今回の知事発言は、むしろ事件そのものより、韓国で報じられた如き心性が「確かにどこかにある」ことを感じさせるものでした。

全くもって、政治に知性が伴わないですね。この国は。

みちのく旅日記(6)
  Date: 2000-11-09 (Thu)

暮れなずむ奥入瀬の流れは、何度か足を停めさせる魅力を湛えていましたが、もう撮影にはキビシイ時刻でした。正式な再会は明日にお預けです。

宿に着くと、熱い湯と食事が迎えてくれました。
ナイトラウンジから響いてくる調子外れの歌声に苦笑しながら、いつしか眠りについた湖畔の夜でした。

翌日は快晴! 今日の午前は徹底的に奥入瀬と足で付き合うことに決定。十和田湖の水口からわずかに下った浄蓮の滝近くに車を停め(ホントは駐禁ですけど^^;)、渓流沿いの遊歩道をカメラと三脚片手に、流れや草花と語らいながら(カッコよすぎ?^^;)、休憩所までの6キロあまりの道のりを、思うさま歩くことができました。その一部は、ここ数週でHPの表紙でお目にかけた通りです。

JRの路線バスで再び浄蓮の滝まで上り、自分のクルマで十和田を離れたのはちょうど午過ぎでした。東北道を下り、目指すは岩手県一関。学生時代の東北ツーリングで最初に訪れたこの町には、今、パソコン通信(INET以前からの)仲間の方が住まっておられます。僕より年輩ながら、心はのびやかで若々しい、とても素敵な方なのです。

久々にその方と出会える期待を胸に一関ICにたどり着いた僕でですが、料金所でハイウェイカードを出そうとすると……あれ? そして事態は急転!……以下次号(あと2回くらいかな〜(T-T))

みちのく旅日記(5)
  Date: 2000-11-06 (Mon)

この日は下北を堪能して、あわよくば津軽にも足を伸ばして、最終的には十和田湖に宿を取る予定でした。

なんだか門構えがリッパに(というか俗っぽく^^;)なった霊場・恐山を横目に、山間のワインディングロードを飛ばして、奥薬研温泉へ。無料の露天風呂として有名な「かっぱの湯」に浸かって朝風呂気分。混浴なんだけどな〜。後から来るのはおじさんばっかりです(苦笑)。

いい湯を楽しんだ後は、「いか備蓄センター(ちょっとうろ覚えです)」とかいう謎の施設がある大畑を抜けて、本州最北端の大間崎を目指します。それにしてもイカが備蓄されていたとは……これで「イカショック」が起きても日本は安心だ?!(笑)

明るい日差しの中、大間崎に到着。抜けるような青空の下、津軽海峡の彼方には、予想したよりずっと大きく、北海道の大地が横たわっているのが見えました。以前登ったことのある函館山も、望遠レンズ越しに手が届きそう。それにしても異国情緒が漂う函館の街に比べて、ここ大間は典型的な日本の漁村という感じです。NHKの朝ドラ「わたしの青空(だったかな?)」で、にわかに観光熱を帯びていたのが、むしろ「日本的〜」な感じを増していたようです(^_^;)。

さていよいよ、前回はたどり着けなかった仏ヶ浦へGO!
……しかし……
しばらく走ると一天にわかにかき曇り、あれよと言う間に豪雨のドライブに。太平洋と青森湾、海峡の速い潮流にも影響されて、このあたりはホントにお天気が安定しないのです。
ワイパー全開でどうにか仏ヶ浦の駐車場にたどり着いたものの、ここから更に未舗装の遊歩道を歩かなくてはならないということで、涙をのんでまたも断念……(T-T)
これはまたおいでっていう神のお告げですね、きっと。

さらに南下して津軽へ渡るフェリーが発着する脇野沢へ。この間、さっきまでの豪雨が嘘のように、秋空が広がってきました。おちょっくとんのか〜!(^O^;;;

そしてフェリー乗り場へ。しかし、ここでも旅の女神は微笑んでくれません。なんと次の便まで2時間あまり。これじゃ津軽に渡っても、あちこち巡る時間がありません。これまたやむなく断念。一路またむつを目指し、そこから一気に十和田へと南下することに決めました。

たった1日ながらいろんなことのあったむつの街を、なんだか懐かしくさえ感じながら抜けて、一路十和田へ。夕暮れの奥入瀬渓流が僕を迎えてくれました……イカ次号(笑)

みちのく旅日記(4)
  Date: 2000-11-01 (Wed)

その友人からススメられていたお店を探して街へ。
けれども店内には明かりが点っているのに、暖簾はしまわれたまま。

うーん、貸し切りなのかなぁ。。。

やむを得ずさらに彷徨って、結果、ホテルに置いてあったガイドに載っていた焼鳥屋さんの暖簾をくぐりました。

焼鳥屋、といいながら、ガイドによればここで食するべきは「馬刺」とのこと。けれどもそこそこいいお値段(1500円くらいしたかな〜)だったので、物珍しさも手伝って、まずは「馬串」をオーダーしてみました。馬肉の串焼きですね。なんか遊牧民みたい。

しかしこれがなかなかの美味。獣臭さもないし、充実感のあるいい味です。気っぷのいい女将さんとの会話も手伝って、その他の食も進みます。あげく、やっぱりガマンできずに馬刺を注文(笑)。

下北半島でも、尻屋崎など馬の放牧が見られますが、食用馬肉の産地として有名なワケじゃありません。聞けば、この店の馬肉は、女将のツテで、十和田から新鮮なヤツを取り寄せているとのこと。冷凍ものが一切ないのが売りなんだそうで、確かにウマイ!

そんな楽しいひとときを過ごしたお店で、カウンターの隣の席に後からやってきたお客さんとも仲良しになってしまいました。

出張で東京から来ていた教材関係卸業の営業さんでしたが、ご出身は沖縄とのこと。ボクの沖縄の友達の話とかで盛り上がって、ついつい名刺交換までしてしまいました。うむーオヤジの飲み方だ〜(自爆)。

こうしてむつの夜は更けてゆきました……以下次号(いつむつから出られるんだ〜(T-T))

みちのく旅日記(3)
  Date: 2000-10-31 (Tue)

ホテルで夕食までの時間をうつらうつらしながら過ごしていたところ、携帯のベルが鳴る。

「もしもし? あ〜ゴメンなさい! 夕食行けなくなっちゃいました(T-T)」
「にゃっ? 何かあったんですか?」
「実は……」
聞いてみると友人のお義父上が緊急入院したとの由。そりゃ大変だ。

「うわ〜大変だ。こっちは全然構わないから、よく看病してさしあげてくださいな」
「はいはい〜。ホントにゴメンナサイね〜」
というわけで、むつの夜は一人で過ごす時間になりました。

この際だからと、夕食に先立って、むつの街を見下ろす釜臥山の展望台を目指して、クルマを走らせることに。山頂へは、恐山に向かう山間ルートで一気に高度を稼ぎ、山の北斜面から回り込まなくてはなりません。南斜面の大半は、自衛隊の占有地になっているためです。

ここで岐阜県ばり(笑)の怪奇現象が。なんと、カーナビが完全に自車位置をロストしてしまったのです。あげく、目的地のえらい手前で「案内を終了します」とか言い出す始末。道は真っ暗だし、うわ〜コワイよぉぉぉ(T-T)。
(※原因はいまだ不明。自衛隊の電波管制の影響か、はたまた恐山の霊魂のせいなのか……)

半ベソかきながら展望台に到着。メチャ寒い。
下北に来ているんだなぁ、とカラダで実感しました。

ここからの眺めは、むつ市街の夜景はもとより、下北半島の過半を見渡せているように思われる、パノラミックなものでした。頑張ってシャッターを切るものの、折からの強風にあおられて、軽量の三脚もまったく安定しない有様。残念ながらまともなショットはものにできませんでした。

背中を丸めて早々に退散。一目散にむつの街に駆け下ります。
さて、何を食べようかな……以下次号(長いよ〜(T-T))

みちのく旅日記(2)
  Date: 2000-10-24 (Tue)

あー10日も空いちゃった……(^-^;;;

「やっぱり続かないねぇ」とある方に責められたので続けます(笑)。

さて、むつの街に入って、JRの終着駅、大湊駅へ。今日の宿はこの駅前にあるJR直営のホテルなんですが、チェックインにはまだ早い時間。ジュースを飲んで一息ついていると、友人からの電話が鳴りました。

この日は平日でしたから、友人は仕事だったのですが、親戚の方に亡くなっていただいて(ウソです^^;)早退けしてつきあってもらうことになっていたのです。「今どこですか〜?」「もう大湊の駅に着いちゃいました〜^^;」「あららっ。んじゃしばらく待っててください〜」

てなわけで、友人を待って駅の待合室でしばし休息。
それにしても、さっぱり列車が来ない駅だな……と思って時刻表を見ると、なんと1日10本しかない!!! 駅前に直営ホテルまであるのに10本でええのか?!>JR 見るとそのホテルの従業員さん自体が、なにがしかの用事でむつの市街地方面に出向くのにタクシー呼んでるし。。。うーん。^^;

そうこうしてる間に友人到着。まったくの初対面だったのだけど、「あーあれだ」って感じで一発で分かっちゃいました。不思議ですねぇ。

あいさつもそこそこに、2人ともお昼ご飯を食べてないことが判明。早速昼食&付近探索のためにクルマを出しました。

前回の旅ではわき目もふらずに恐山(笑)を目指して突っ走っていたので、およそあたりの印象に乏しかったのですが、この日はむつ泊ということもあって余裕たっぷり。途中うにいくら丼など食しながら、下北半島北東岸をのんびり走ってみたりしました。

さて、むつに戻ってホテルにチェックイン。友人とは一度別れて、夕食で再合流することにしました。それにしてもまぁ、初対面とはいえ、あらかじめノリの合ってる人との出会いは、変にかたくなることもなくって楽しいものです。
夕食も楽しくできそうだなぁ……と思っていると急報が!>以下次号(笑)

みちのく旅日記(1)
  Date: 2000-10-14 (Sat)

先週の連休に、3日ほどお休みをくっつけて、東北に出かけてきました。

東北にはなぜか友達が多くって、毎年のように出かけるのですが、今年は大学時代に訪れて以来久しぶりになる、下北半島を訪ねるのがメインの目的。新車の気合い入れ(笑)も兼ねて、ロングドライブと相成りました。

10/4早朝4時半、自宅を出発。なにしろ平日ですから、通勤ラッシュの前に、首都圏を脱出しておきたかったのです。もくろみ通り、順調に中央道、首都高を抜けて、常磐道へ。仙台に行くにも東北新幹線よりも常磐線経由を好むボクは、このルートがお気に入りです。前回の旅のときには出来ていなかった、いわき四倉ICを下り、一般道へ。原発銀座とも呼ばれる国道6号線沿いを北上して、お昼には仙台に入ることができました。

この日の予定は、大学時代の友達と夕食を一緒すること。時間が余ってしまったので、秋保温泉の奥にある、秋保大滝を目指しました。歩いて歩いて、滝壺の飛沫も堪能。イオン効果(笑)でリフレッシュしてから、仙台市内に向かいました。やっぱりニュースステーションの滝中継を見てるだけじゃダメですよね。

宿に荷物を放り込んで、仙台の街へ。毎年必ず訪れるこの街ですが、駅前の「ペデストリアンデッキ」は、なんだかもう懐かしい風景になっているみたいです。気まぐれに数年ぶりの献血をして、ご褒美のジュースでのどを潤していると、約束の時間がきました。仲間内では「ポリゴン像」と呼んでいる伊達正宗像の足下を見回すと、久しぶりの友人の姿がありました。

この日はきのこ料理の専門店で、季節の味覚に舌鼓を打ちながら、ゆっくりと語り合うことができました。どうもありがとう。なっちゃん。

さて、翌朝は6時半にホテルを発。今日は一気に下北半島むつ市を目指します。ネットで知り合った、新しい友達に会うためです。距離にして400キロ弱ですが、途中、新型支援戦闘機が配備されて話題の航空自衛隊三沢基地や、核燃料再処理施設受け入れの表明でこれも注目される六ヶ所村を訪れながら、5時間少々でむつ市に到着。10数年ぶりのむつの街は、見違えるほどキレイになっていました。

<続く……かも^^;>

ふるさとの夜に寄す
  Date: 2000-09-20 (Wed)

先日、今度は友達の結婚式に出かけました。
世の中って、こういう風にできているんですね。
そう思うと、ちょっと救われる気持ちでした。

さて。

僕の生まれ故郷は兵庫県西宮市甲子園。そう、あの甲子園球場のすぐそばです。
今回の結婚式は大阪万博公園内の施設で行われたのですが、実は僕が生まれたときの我が家は、まさにその大阪・千里ニュータウンにありました。甲子園はお袋の実家だったわけです。久々に見る太陽の塔は、万博当時の袴(知ってる人には分かるかな〜)もなくなり、なんだか心細げでした。

その夜はおきまりの大宴会コース。ふるさとの言葉に包まれて飲むお酒は、いつもとひと味違うおいしさだった気がします。

そんな夢のような夜が明けると、今度は久しぶりのネットの友達との再会が待っていました。元気をありがとう。ゆかりん。

ふるさとで命の水を汲む。まだまだ、歩いていこう。

華によせて
  Date: 2000-08-30 (Wed)

今日また、ボクが死んだ。

昨日の夜、突然にやってきた、彼女の死の知らせ。

ボクのことを友達だと言ってくれた彼女が、逝ってしまった。
彼女の友達の、ボクを連れて、行ってしまった。

そしてボクの一部も、今日また、死んでしまった。

そんなふうに

ボクのかけらを連れた人たちが、旅立っていく。
その度ごとに、ボクは少しずつ、死んでゆくんだろう。

その一部の積み重ねが、ボクの背を越えたとき
ボクはまた彼女たちに逢えるんだろうか。

背が高いのも考え物だ

夏の灼ける日差しが作った
ボクの影法師が、そう言った気がした。

「隠す」心理
  Date: 2000-08-24 (Thu)

三菱自工のリコール隠しが大きな問題になっている。これまでもこうした問題は様々のメーカーにおいて指摘されてきたけれど、今回のケースはその規模や、極めて組織的な行為である点で、他の事例とは一線を画するものだ。

三菱のページをのぞいてみると、「こりゃ役人の答弁か?」ってな文面で、この件に関する「説明」が掲載されているのだが、これがホントにお詫びの気持ちで書かれたものかはさておき、この事件を考える上で非常に興味深い部分があるので見てみよう。

非常に長々とした「説明」の中で、本件の原因らしき部分に触れたくだりには以下のようにある。曰く「リコールの件数を最小化したいという意識が関係者内に働き、その結果 、指示改修(※引用者注:内々にケース毎対処すること)に繋がっていきがちだったと、考えられます」。
まぁ要するに、担当者としては大きな失点につながるリコール件数を、とにかく(見た目)減らしたかったんです、ということだ。そうした意識が原因なのだから、意識改革を行っていきたい、ともある。
しかしその一方で、この「説明」や付随する多くの報告には、その同じ意識が強く働いているのがミエミエなのだ。

例えば「このような二重管理については、実際の実務はグループ長レベルまでで処理されていましたが、担当部長クラスまでも事実上承知しており、またそれら部門の上位 役職者もうすうすは認識はしていたのではないか、と委員会は推定しています」なんてくだりがある。この一文には「事実上」「うすうす」「推定」とご丁寧にも三重に渡って、動かし難いひとつの事実のニュアンスを薄めようというレトリックが働いている。こりゃ小学生の言い訳である。

もうひとつ挙げてみよう。「別管理扱いとした情報は、監査時に対応できない等の判断に基づくもの(※引用者注:これがいわゆる問題の核心であるリコール隠し)のほか、連絡書の記載が不明確であったり、不具合の範囲が特定できないため、という理由によるものもありました。」ここでも、問題の本質を、些末な別の要素を並べたてることで少しでも糊塗しようという意識が露骨に働いているのが分かる。

最後にもうひとつ。改めて公表されたリコール対象車の一覧表には、当該の欠陥に起因する事故事例についての記載があるのだが、そこには「1件 軽微な接触事故」という表現がある。「軽微」なんだそうだ。ホントに呆れてしまう。おそらくは顧客に必要以上の心配をかけないため、より正確な情報を伝えた...くらいの言い訳が返ってくるのだろうが、別の1件(そちらはただ単に「事故」と書かれている)については、一部報道で「人身事故」であることが分かっている。ならばそちらも「より正確」に記載して欲しいものだ。

とまぁこんな具合で、三菱の本件についての説明や謝罪は、この事件を引き起こした心性そのものによって貫かれている。

同社では、こうした事件の再発を防ぐためにいくつかの取り組みを掲げているが、その筆頭は「企業体質・風土・倫理という次元での全社員の意識改革、特にコンプライアンス意識、外部への情報開示姿勢のあり方を根底から改革すること。」だそうだ。いやなんとも多難な話である。

http://www.mitsubishi-motors.co.jp/NEWS/etc0004/n000719.html


小出しに近況
  Date: 2000-08-11 (Fri)

夏バテと忙しいのとで更新もサボりまくり。ごめんなさい。
とりあえず近況2点。

その1。クルマを替えた……のは表紙ギャラリーとかでお知らせ済みですが、そのクルマについて。トヨタ(トヨペット)のホームページに「オーナーズレポート」ってコーナーがあるんですが、ここに落書きが掲載されております。たぶん8月中だけの掲載なので、見たい人は急げっ(笑)。
ちなみにこれで掲載料1万円もらえることになりました(商品券だけどね)。にしても、掲載された途端に最終回ってのもな〜(^_^;;;

その2。ある日突然、ビールがワンケース送られてきました。アサヒスーパーモルトの350ml缶24本詰め。「おおっ」「でもなんで?」と思って送り状を見てみたら……居酒屋「北の家族」からとある。どうやらインターネット上のアンケートキャンペーンで抽選に当たったみたい。応募の記憶は全然ないんですけど(笑)。なんにせよ応募しなくちゃ当たらないというお話でした。

これで1枚だけもらった宝くじの外れは決定かな〜(T-T)。

http://www.toyota.co.jp/toyopet/


夏と読書
  Date: 2000-07-31 (Mon)

久々に読書にハマっている。
大体年に一度はこういう時期があるんだけれど、その都度テーマがあるのがボクの特徴。

で、今回は戦記文学特集(笑)なのだ。

思えば、ボクが初めて読んだ「大人向けハードカバー本」は、大岡昇平著のレイテ戦記だった(……ってこんな子供いないよな〜フツウ)。あのころはただ単に、大好きな戦艦や飛行機が山ほど出てきて闘う大活劇、みたいな積もりで読みふけっていたように思うけれども、もちろん、あの作品の真価は、そして描かれていた世界はそんな次元のものではなかった。そのことが理解できたのは、もっと後のことだけど。

それにしても、夏に戦争を読み返すのは悪いことじゃないと思う。全体としての戦争が、この上なく愚かなことであるのは間違いないけれども、その中で、自分のすべてを賭けて闘った人たちがいることは忘れちゃいけないと思うんだな。

もっとも、その人たちを偲ぶのに靖国に行かなくちゃってのは短絡だけどね。偲ぶこと自体が儀式化したら、その時点で偲ぶ想いは形骸化するんじゃないかしらん。

今日のひとこと
  Date: 2000-07-25 (Tue)

あ。前回から一月以上も経ってる……(^_^;;;

今日は、会社の入ってるビルのエレベータの中で聞いた、OLさん2人連れの会話。

「なんか最近時間経つの早くない?」
「うんうん。1日なんてすぐ経っちゃうよねー半分くらい」

……そりゃ半日やろ。ねえちゃん。

邯鄲の枕(かんたんのまくら)
  Date: 2000-06-21 (Wed)

ずいぶん久方ぶりの更新だなー。
えーと、今日は、今まで誰にも話したことのないことを書いてみようと思う。

あれは小学校5年の頃のことだったかな。
当時、児童会の副議長を務めていたボクは、同じ役目に
ついていたMさんという上級生(6年生ですね)に「かわいがられて」いた。笑わないように。当時のボクは間違いなく可愛かったのだ。彼女は「好きよ」と言ったのだけれど。

まぁ小学生どうしのことで、そこまでなら他愛もない話なんだけれど、このMさんを巡って、ボクにとっては忘れようとしても思い出せない(シャレじゃなく本当に、だ)出来事があったのである。

当時のボクらは、今の小学生とは違って、学校が終わるや飛んで帰ってきて、大勢でいろんな遊びに興じていた。そして、そのころのブームは「缶蹴り」。
何しろ大勢で、近所の野山を丸ごとフィールドにして、もちろん鬼も2人でチームを組んだりしてやる、とんでもなくパワフルな遊びだったと記憶している。
そんなある日、男子ばかりのその遊びの輪に、Mさんが入ってきたのだった。
いきさつは覚えていないのだけれど、ボクを訪ねてやってきた彼女が、そのまま仲間に加わったのだったように思う。
突然の珍客に、ボクの仲間はとまどいながらも大歓迎モードだった。ご多分に漏れず、女の子の前では必要以上にハッスル(死語^^;)しちゃうヤツも大勢いたし。小学生って言っても、そこは男の子だもんね。

そんなこんなで、いつもに輪をかけたような盛り上がりの中で、缶蹴りはボルテージを上げていったのだけれど、その頂点で、あれは起きたのだった。

前後の脈絡は、もう全く記憶にない。
けれどもとにかく、缶蹴りの缶が据えられた、その間近の林の中で、気が付くとたくさんの連中が、彼女を遠巻きに囲んで、代わる代わる走り寄ってはスカートをめくったりのいたずらを繰り返してる様に直面したのだ。

「やめろよぉ!」そんな声がボクの口から外に這い出ることができたのか、それさえ今は記憶にない。時間にすればほんの数分間のことだったと思うけれど、ボクは立ちつくしたまま、止めることさえできずにいた。そんな悪夢のような時間にピリオドを打ったのは、他でもない彼女の嗚咽だった……。

その日、その後の記憶も、ボクにはもう残っていない。
ただ、その後も、ボクと彼女は仲良しだったし、あの日のことについて話したことは、彼女とはもちろん、他の仲間たちとも一度もなかった。

今でもあれは現実の出来事だったのか、それとも白昼夢だったのか、自分で疑わしくなることがある。肝心なところで何もできないってのが、夢の中でも変わらずだとしたら、ホントにとことん情けない話だよね。

……と、今日は意味もなく感傷的なエピソードの垂れ流しでした。あー恥ずかし。

オーディオ鉄人、逝く。
  Date: 2000-05-30 (Tue)

この走り書きをはじめて、いくつめの訃報になるだろう。
あんまり扱いたくないのだけれど、心の揺れる別れは、
否応なしにやってくる。

オーディオ評論家の長岡鉄男さんが亡くなった。
といっても知らない人がほとんどだと思うので、簡単に
紹介してみよう。

長岡さんは、まぁ肩書きの通りオーディオ機器の評論
を生業としていた方である。だが、放送作家出身だという
そのユニークな経歴を別にしても、その個性は際だった
ものだった。

長岡さんは徹底した「実践の人」であり、
オーディオの音質向上のためにこれはと思われることが
あれば、何でも試みることに躊躇しなかったのだ。
その膨大なトライアンドエラーの蓄積が、長岡さんの
評論を分厚く、信頼感あふれるものにしていたことは
言うまでもない。

かくいうボクも、長岡さんの影響を受けて、スピーカーの
自作だの、音質向上対策に血道をあげたものだった。

短く刈り込んだ坊主頭と鋭い眼光で、柔道一直線の鬼コーチ
を彷彿とさせる風貌の長岡さん。ちょっと早すぎる、残念な
お別れですが、どうぞ安らかに。天国にもいい音のあらんことを。

はやりうた
  Date: 2000-05-22 (Mon)

福山雅治とかいう人の「桜坂」という曲が大ヒット中らしい。
なんでもバラエティ番組の人気コーナーのテーマソングに採用
されて、人気が出たのだそうだ。

すごく叙情的で、素敵な曲なのだけれど、残念ながら素直に
この曲を受け入れられないボクがいたりする。

この曲は、高橋幸広の世界に瓜二つだからだ。

実際、この曲を最初に耳にしたとき、ユキヒロが曲を提供
したのだろうと思ったほどだ。曲想、アレンジ、メロウな
ボーカルまで、これはユキヒロのコピーに相違ない。

どうして誰もこれを指摘しないのかなぁと思うけど、YMO
のドラムスとしては有名なユキヒロも、1アーティストと
しては、決してメジャーじゃないってことなのだろうか。

音楽の世界に限らず、先人の魅力的な仕事を範にとることは
全然問題じゃないと思う。

けれども、そこには尊敬の念と、同時に自分ならではの何か
を付け加えなくちゃならないハズだ。それがない模倣は、
作品とは呼べない。

ホントに残念なことに、この「桜坂」は、福山自身が「自分の
思い出に照らして書いた」と言っている詩の世界までもが、
ユキヒロの作品世界から一歩も出ないものに見えるのだった。

「桜坂」を聴いて「素敵な曲だな」と思った人は、せめて
高橋幸広のアルバムを聴いてみてほしい。そこにはもっと豊かな
オリヂナルの世界が広がっているから。そんな出会いが生まれるなら、
「桜坂」ははじめて価値を持つだろう。

目が見えなくなったこと
  Date: 2000-05-21 (Sun)

別に失明したわけじゃないんですが(笑)。
今、ボクがかけているメガネは(コンタクトのときもあるけど)、
ものすごく分厚いシロモノになっています。メガネがないと、メガネの
場所を探すのに苦労する、まるで小池さんですね(^_^;;;

元からこんなに目が悪かったわけじゃないんです。
そう、高校時代までは両眼とも2.0以上あって、電車に乗っても
車両のはじっこから、反対側のはじっこの広告が読めた(ホントです)
くらいでした。
目が悪くなったのは……まぁ勉強のせいじゃないことは確かですね。
あの頃は、今までの人生の中でも一番本を読んだ時期だったんじゃ
ないかな。そう、受験勉強ほったらかしで、歴史だの古典芸能だの
の本を読みあさっていました。大学に入ってからも、それが続いて
いたのですが、当時のボクの寝床の明かりがマズかった!
なにしろチカチカしまくりの蛍光灯でしたから……。
やっぱりあれが原因だったんでしょうねぇ。

大学に入ってしばらくしたころ、朝、目が覚めて天井がぼやけている
のを見て(っていうか見えなくて)、愕然としました。
そして、大学での座席も、黒板の文字を読みとるため、次第に前へ……
ほどなく、メガネ生活がはじまったのでした。

それからもう10余年。
慣れてくればどうってことのないメガネ暮らしではあるのですが、
ボクは敢えて「自分は目が悪い」ってことを意識しながら暮らしたい
と思っています。
そうしないと、見えていないものがあることを忘れちゃいそうな
気がするから。

ボクが好きだった人に言われた、今でも忘れられない一言があります。
「あたしには全然見えないものを見てるんだねぇ。楽しいな」

そのときボクはもう目が悪くなってきていたのだけれど、彼女はボクの
ものの見方を、そんな風に言ってくれたんだと思います。
だからボクは、見えていないものがあることを意識しながら、いろんな
ものを見つめていきたいと思うのです。これからもずっと。

首相逝く(今日のはカタイよ)
  Date: 2000-05-15 (Mon)

うーん。最近時事ネタはなるべく避けようと思っていたのだけれど、
やっぱし一国の(前)首相が亡くなったんだし、なにがしか書いておこう
と思ったわけです。

さて。

小渕さんについては、今更言うまでもなく「気配りの人」で知られてきた
わけですが、最近では例の新潟県警不祥事などについての失言など、あの
人らしくない凡ミスが目立ちました。

疲れていたんでしょうね。

そんなに疲れ果てまで小渕さんが尽くしたものは、いったい何だったんで
しょうか。

「天下国家のため」という話はさておき、ボクがとても興味深いと思った
のは、つい先日、旭道山議員が1期限りでの政界引退会見を行ったときの
コメントでした。曰く「この世界は、貸し借りの世界だということが、
よく解りました...」。

小渕さんが愛すべき人物だったことは間違いないと思います。しかし、
その所為は、必ずしも国民への気配りであったとは言えないでしょう。
小渕さんを疲れさせてしまったのは、その、あまりに複雑な、政治の
貸借対照表(バランスシート)だったのじゃあないでしょうか。
もちろん、その舵取りこそが、小渕さんの選んだ政治手法、ひいては
生き方だった以上、ある意味志に殉じたと言えなくもないのでしょう
けれども……。

最後にヒジョーに感情的な感慨を一言。
森さんはとっとと退陣すべきです。総理内定時のあの節操のない破願
は、一国の長たるものが表すべきものでは断じてありません。
貸し借りが「人柄」を圧してしまう政治の世界ですが、それでもなお
まつりごとを行うのは「人」であることに間違いはないんですから。

もろもろもろ
  Date: 2000-05-07 (Sun)

脈絡なく、ここのところ思ってることを書いてみる。

>巨人の高橋(新人ピッチャーの方)
一刻堂にソックリ。似すぎです。
度胸が据わっててホンモノっぽいところも似てる。

>東京ラブストーリー
なぜか今時再放送で初回を見かけた。
ううむ……電話がデカイ。
コードレスも、携帯も。
10年ひと昔ってのは真理である。
保奈美さんもステキだった。あのころは。

>アイドル
前からお気に入りの韓国3人娘・S.E.Sを生で見る。
アイドルというのは、自分のことを見ている気に
させてくれる存在なのだと久々に気づく。
おーい三十路なんだぞぉ>自分

>国立(くにたち)
連休最終日、懲りずに下手な写真を撮って歩く。
ボクの「ものごごろついた」街はすっかり変わって
いたけれど、でも何も変わっていなかった。

>雨
いつの間にか雨を避けている自分に気づく。
大学生のボクなら、荒天を衝いてロングツーリングに
旅立ったし、小学生のボクなら、大喜びで、ゴム長の
ダムをドブに拵えて、平気で学校に遅刻していったのに。

---それでも雨のにおいは、今でもとても好きなんです。

10輪生活
  Date: 2000-04-23 (Sun)

また車輪が増えちゃいました。

ここ数年の引っ越しで、車輪の数は8輪で安定していたんですけど、
ちょっとの油断でまた10輪に……。

え? 何のことかって?
えーと、ボクが持ってる乗り物の車輪の数です。

ちなみに安定していた8輪とは、クルマの4輪と、バイクの2輪、
そして自転車の2輪でした。

そこに今回、久々に原付スクーターの2輪が加わっちゃったんですね。
このところ表紙のつたない写真でみなさんのお目を汚しておりますが、
身の回りの写真を撮って歩くのに、自転車だと行動範囲が足りないし、
バイクやクルマじゃ大げさすぎて、気軽にカメラを構えられない……
というわけで、中古のスクーター購入と相成ったわけです。

ボクがバイクの免許を取ったのは、大学1年の6月、そのすぐ後に
スクーターを手に入れました。ブルーのヤマハ・トライだったと思います。

それから今まで、スクーターを6台、バイクを7台乗り継いできました。
自分でも「うわ〜」って感じの数ですが、いろんなことがあっても、
なかなかこれだけは止められないんですよね。

自分にとって、バイクの意味はたくさんあるんですけど、一番大きいのは
何と言ってもバイクが「パーソナルモビリティ」を広げてくれる、
道具だからだと思うんです。

人間にとって、好きなところに行けるって、とても大事なことだと
思うんですが、ボクにとってのバイクは、そのための力を与えてくれた
大切な相棒なのです。

クルマも確かに安楽に、ボクたちを目的地まで運んでくれるんですが、
バイクはもっと能動的に、自分がそこにたどり着く「力」を伸ばして
くれる、そんな感じがするからでしょうか。

……もっとも「いろんなこと」の中には、何度か事故もあったりして
「行きたいところ」にたどり着けなかったこともあるんですが……(^_^;;;

天の邪鬼
  Date: 2000-04-10 (Mon)

世界でイチバンおっきなソフト会社が、裁判で負けそうらしい。
ボクはといえばマック野郎な上に、以前一太郎屋さんに奉職して
いたこともあって、あんまりイイ関係じゃなかった会社だ。
でもでも、最近、どーいう縁か、その会社の人たちが大勢お友達
になってくれたりしている。そうなると、全然悪い印象なんて持
たなくなっちゃうんだからエエ加減なヤツです>自分

で、今日は独占について。

なんで独占が起きるのかって問題は、実はなんで流行ってものが
あるのかっていう問いに近い。人が持ってると自分も持ちたいのが
人間なのだ。
それでも、どんな世界にも天の邪鬼なヤツってのはいて、それが
実は世の中のバランスを取るのに、結構大きな役割を果たしてい
たりするらしい。マックだってそうだ。

だけど、冒頭の大会社とか、うーんと……某巨大検索ページとか、
ことコンピュータとかネットワークの世界だと、どうにも事情が
違ってくるように感じる。

たぶんこれはスピードの問題なんだよね。

パソコンの普及と、それ以上に(異常に?^^;)凄まじい早さの
ネットワークの普及は、新参の多くの人たちに、焦りに似た感情を
引き起こしてるんじゃないだろうか。

自分でかみ砕く時間があれば、もっと好き嫌いも言えるのに。
今はとにかく、流れに遅れないように着いていくだけ。
そうなると、頼りになるのは他人の背中ってことになる。

そんなに不自由な時代じゃないのにな。今って。
もっとニュートラルな立場に自分を置く方法だって、たくさん提供
されている。W●RD文書じゃなくたって、相手に読んでもらうのは
今や難しいことじゃないんだから。
検索ページだって、それこそまだまだたくさんの選択肢が残ってるし。

もっと気まぐれにリンクをたどってみよう。
マイナーなソフトも使ってみよう(笑)。
ペンを替えたら、今までと全然違う絵が描けるかもしれないし。

「世界標準」ツールを使って、プレゼン資料の作成に汲々としてる
サラリーマンの人、印象に残るプレゼンをするには、道具を替え
ちゃうのが近道かもしれないよ〜(^-^/

ホントのオリジナリティは、結局自分の中にしかないんだけどね。

ミスについて考える
  Date: 2000-03-22 (Wed)

えーと。
警察だの自衛隊だの、行くところまで行っちゃってる感のある今日この頃ですが、
今日はちょいと「ミス」について考えてみました。

京都の事件でも新潟の事件でも、はたまた埼玉の事件でも
「捜査ミス」なんてことが言われたりするわけですが、
いわゆる「ミス」の部分と、確信犯的な服務規程の逸脱行為は、
当然明確に区別されるべきものです。これらを十把一絡げにしている
ところに、最近の一連の問題についての割り切れ無さや後味の悪さが
起因しているんじゃないかって気がしてなりません。

自衛隊の件は、もちろん間違いなく後者なワケですが、あの手の
組織は、放っておくとそれらも「口頭注意」とかで済ませちゃう
ことになるようですね。
ミスは誰にでもあります(むしろ警察や自衛隊といった組織が
「無謬性」という建前にしばられていることも、一連の問題の
土壌になっていることは事実です)。
それは程度にもよりますが、一般論としては「注意」の延長線上にある処置でよいのでしょう。
ですが、確信犯的な違法行為は、ミスとは全く異なるものです。
これらには最初から罰を持って臨む必要があるはずです。

新潟県警のエライさんの行為は、どう考えても「判断ミス」じゃないですよね。
もみけし疑惑についても、新聞などは安易に「見落とし」という
言葉遣いをするんだけど、ありゃ「見逃し」でしょどう見ても。
言うまでもなく「見落とし」はミス、「見逃し」は犯罪です。
(断定できないからそう言ってるんでしょうけどね。読者から見ればゴマカシです)

あーなんだかガラにもないネタと論調になってしまった……(^_^;;;

踏みしめて、歩く。
  Date: 2000-03-08 (Wed)

えーと。
うちのアパートの前の道路が今工事中です。
下水道工事とかで、もう3ヶ月くらいになるかな。

で、一昨日あたりから、いよいよ一面舗装がはがされて、
なんだか懐かしいような未舗装路になりました。
サクサク踏みしめて駅に向かい、んで帰ってくるわけです。

これがなかなか心地よい。

道路なんてこんなもんでよかったんじゃないのかなー。
交通量の多い幹線道路は別にして、住宅街の路地まで
コテコテにアスファルト敷きにする必要なんて、あったのかしらん。

そう言えば、子供の頃にはまだ通学路のところどころに未舗装路が
あって、雨の日には水たまりを飛び越えながら学校に通った覚えがあります。
それが、いつのまにやら身の回りからそうした道が姿を消しちゃったんですね。

足の裏で、地面のデコボコを感じながら歩く。
これってステキな体験だって思うんですけど。

朝食のBGMは
  Date: 2000-03-06 (Mon)

……カラスのさえずり(って言うのかな?カラスの場合^^;)なのです。ボクの場合。
以前は、何が何でも自宅で朝食をとってから出かけていたのだけれど、
勤め先が新宿になってからというもの、すっかり、街に出てきてからの
朝食が習慣になっちゃったんですね。

なにしろ、朝のラッシュもさることながら、新宿の雑踏は耐えきれないものがあります。
他の人とは歩調も歩く速さもぜーんぜん合わないボクとしては、
雑踏の中を歩くのはすごいストレスなのです。だから、街が混み合う前に出社しちゃう。
7時半ごろなら、まだまだ街は静かですから。
ニュージーランドの羊じゃないですが、人間よりはカラスの方が多いですね。コワイくらい。
<先日テレ東で久々に「鳥」見ちゃった……怖かった(T-T)

そんなわけで、24時間やってるような食べ物屋さんがボクの
朝の食事をまかなってくれるわけですが、こちらについても一言。

その手のお店の愛好者には常識的なハナシですが、いわゆるチェーン店
でも、その味はお店ごとに結構違うものなのです。
で、ボクが週に1度は通う立ち食い蕎麦屋(実際には座れるんだけど)「富士そば」さん
もそんなお店のひとつで、新宿西口の、カメラ店などが密集する一角のお店が、
ボクのごひいきです。
味もさることながら、混み合う時間帯でも殺気立たない、なんだか
柔らかい雰囲気のあるお店なんですね。気さくなおばちゃんのお陰かな。
してみると、チェーン店に感じる味の違いも、そのかなりの部分は、
お店の雰囲気(とくにスタッフのね)が生み出してるのかもしれないですね。

ちなみに今朝はイカ天そばを食しました。
これがまたやわらかくて美味しいんだ。(^-^)

信濃の国のニセアメリカ人
  Date: 2000-02-28 (Mon)

今日はクルマで出張。んで、道すがら思ったコト。

湖の見える某有名SA(バレバレ^^;)で食したアメリカンドックに異議ありっ!(T^T/
あの中身って、もろ魚肉ソーセージやん!!

いや。ボクの場合ぎょにそーは常食とさえ言える愛しい存在
なんですよ。おいしいし。

でもさ。あれは水産大国日本が世界に誇る純国産文化やん!!
それがまたどーして「アメリカン」ドックの具に使われちゃうワケ?!

一方でアメリカンドック愛好家でもあるボクとしては、
アメリカンドックの魅力は、あのゴワゴワの衣と、脂ギッシュ
なフランクフルトのハーモニーにあると思ってるわけで、
それが水墨画のかそけき美意識から生まれた(ウソ)ぎょにそー
との組み合わせじゃ全く活きないと思うんであります。

なんにしても○×SAのアメリカンドックは、真っ赤なニセモノである!!!
……ってことを断言して、今日はここまでッ。(T^T)o"

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